「つくる」が溢れる場所  長野県泰阜村

 

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94歳のおばあちゃんの手から、するすると縄ができていく。その縄で“もや”(焚きつけに使う細かい木の枝)を、どこから溢れているのだろうかと思うくらいの力で、縛ってしまった。

 私がこのおばあちゃんちに訪問し、木の剪定後にできたという木の束を見つけ、お願いしたらいただけることになった時のことである。運ぶのにヒモで縛ろうとなった。そこでおばあちゃんが持ってきたのが藁だったのも驚いたけれど、それで縄をなって二束をつないで長くして“もや”をがっちり縛ってしまうとは!私はただただその光景に目を奪われていた。いつもの感じでは全く想像できない現象にただただ驚いたのと、これが生活の一部としておばあちゃんの中にあったこと、この地この畑で生きてきたということを強く感じた。この日は忘れられない1日となった。

 

 

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 泰阜村では生活の中に「つくる」ということが身近にあった。生きるために不可欠な食べ物、例えば野菜やお米や果物をつくるし、すりこぎや箒、竹かごなどの生活道具もつくってしまう。エネルギーとしての薪、炭だってつくれるし昔は履物だって衣服だって…。しかも、ただつくるといっても奥が深い。材料にはこの木が一番合っているのだとか、この季節に竹を切り出さないといけないとか、藁はなう前にしっかり木槌で叩いておくのだとか。

 ここでは生活に必要なものは何でもつくることができた。でも、今みたいに何でもお店で買えるわけではなかった時代では身の回りのものをつくるのは当たり前だった。むしろ、それほど大変な生活を強いられていたのだとも言えるだろう。しかし、私は負の面からこういう生活が続けられているのだとしても、昔から続いてきたものが脈々と受け継がれている泰阜村に深く感銘を受けている。

 

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 ここで見てきた「つくる」ということは本当の意味での「生きる力」であると思う。私も一部ではあるが、生きる力を学ばせてもらっていた。ただ、今の時代を生きる私たちがそれに必要を差し迫られるということは滅多にないだろう。しかし、「つくる」ことから学べるのは生き延びる方法だけではないと思う。例えば「つくる」ということの裏側にある想いやその過程は私たちに「豊かに生きる」ことを教えてくれる。

 

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 たくさんの技や知恵を持って、様々な時代を本当の意味で生き抜いてきた世代と関われるのは今だけだと思う。それらが次の世代へしっかり引き継がれているのかと言われるとそうでもないかもしれない。しかし、私はそれらがこれからも残されていってほしいと思う。なぜなら、私だけでなくより多くの人たちに体験を通じて「豊かに生きる」ということを知ってほしいからだ。

 同時に泰阜の方々に、こんなに素晴らしい地域に根差して生きてきたという誇りを持ってもらえるきっかけになってほしい。これから私は少しずつでもこのことに力を注いでいきたいと思う。

 

文:長野県泰阜村派遣 布袋田早紀

 

*おまけ*

文集中にある絵

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